みかんの日記~病気と一緒に。夢に向かって。~

いくつかの病気と一緒に歩む日々。夢に向かって進んでいきたいです。

IgA血管炎の話 その7

こんばんは。みかんです(^^)

 

先ほど、久しぶりに日本ブログ村のランキングを見たところ、「免疫の病気」ランキングで1位となっていて、驚きが隠せません…!!

読んでくださる皆様、ありがとうございます(^^)

 

今日は久しぶりに、IgA血管炎の話をしようと思います。

前回は、学校に復帰した頃の話でした(^^)

 

紫斑自体は、毎日出続けていましたが、関節痛や腹痛はなかったので、運動制限は守りながらですが、割と普通に生活していました。

紫斑自体は、その後も毎日出続け、出ない日があるようになったのは、ごく最近のことなのです(^0^;)

発症して、1ヶ月の間は1~2週間に一度、通院して、尿検査をしていたと思います。

 

私は今までのところは幸い、尿検査の数値が悪くなったことは無いです。

大切になるのは、潜血と尿蛋白なのですが、だいたい

潜血、マイナス(赤血球の項目になると、たまに1-4だけど、正常らしい)

尿蛋白もマイナス(ペーパーでテストするとたまにプラスマイナス。)

です。

通院するのは、ちょっと嫌だなー(´д`)と思いつつも、(学校大好き人間だったので笑)、主治医の先生好きだったり、検査結果出る間での1時間ぐらい、院内のカフェに行くのが好きだったり、それなりに楽しいこともありました(^^)

この頃は、きっと、もう少ししたら、治るだろうと思っていました。

すぐに元通りの生活に戻って、この1ヶ月のことなんか、そのうち過去に埋もれてしまうだろうと、本気で思っていました。

だから、あんまり深刻には捉えていなかったです。

ほんとに。

私だけじゃ無くて、先生や親も思っていたかもしれません。

この病気、自然治癒する人も沢山いるので。

ましてや、腎炎もなく、腹痛もなく、この時点では関節痛もなかった私。ただ、紫斑は長続きしていました。

先生からも他の症状が無いのに、紫斑が収束せず、不思議がられていました。

 

1ヶ月過ぎた頃からは、通院は月に1回になりました。

この月に1回の通院は、今後、小学校の間、ずっと続くことになります。

 

季節は変わり、12月ぐらいになって、体育の見学にも慣れてきた頃、跳び箱の授業で、見学者たちでで用意の手伝いをしていました。

私は、この後紫斑が増えたことにより、走らなくても、重い物を持つことも、負担になってしまうことを学びました。

体育の見学って、続くと本当に、暇なんです。

暇だし、皆楽しそうに動いているので、じっと見ているのも、精神的に辛いんですね。

その中で、準備だけ手伝ったりするのは、楽しんでいた部分もあったので、

「手伝いも出来ないのか…」

と寂しくなりました。

そのことがあってからは、じっとして見学していました。

 

この頃、変わったことといえば、バレエを本当に辞めました。

 

先生は、治ると信じてくださり、

休んでいることにして、(月謝も無くしてくださって)

「必ず治るから!特例でいつでも、元のクラスに戻れるようにしてあるから。ずっと待ってるからね(^^)だから、今はイメトレして、耐えて頑張って!」

とひたすら待っていてくださったんです。

なんて良い先生なんだろう。

ずっと会えていないけれど、恩師です。

(今週の日曜日に発表会あるらしいのに!案内送ってもらったのに!

テスト前とかぶったので、行けない…(>_<)行きたかったし、皆に会いたかった…(>_<))

 

でも、紫斑は出続けていて、あまりにも先が見えず、一旦辞めることになりました。

 

 

先生が最後にくださった手紙、まだ大切に持っています(^^)

「今は大きな試練の時ですが、がっかりしないで時を待ちましょうネ。今まで本当によく頑張ってきたのだから、今少し期間、バレエをお休みしても、全然問題ありませんから…。お医者様が「バレエを再開しても良い」と言ってくださる日まで、イメトレしててください。いつでも、特別に同じクラスに戻れることになっています。あせらず、ゆっくり病気を治してくださいね。」

 

久しぶりに読み直したら、泣けてくる…。

人との出会いがありがたいなぁ( ´▽`)

 

ながながと書いてしまいましたが…。(明日からテスト1週間前なのに!←でも、気分転換になりました( ´▽`))

 

次回は、私のIgA血管炎史上、「ベストオブコントロールの悪かった年」・小学4年生の話をしていきます。

 

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